2016年4月16日 第601回 月例天文講座 

キトラ古墳天文図

              国立天文台,相馬 充 先生

◎講演要旨

1.キトラ古墳とは
 キトラ古墳は奈良県高市郡明日香村の国営飛鳥歴史公園内にある古墳で,極彩色の壁画で有名な高松塚古墳の約1km南に位置する.この古墳は7世紀末から8世紀初めに築造されたと考えられており,石室内部の壁面には青龍・朱雀・白虎・玄武の四神と獣頭人身の十二支が描かれ,天井には東アジア最古に属する現存例といわれる精緻な天文図がある.壁画が確認されたのは,北壁の玄武が1983年,東壁の青龍と西壁の白虎と天井の天文図が1998年,南壁の朱雀と東西南北4壁の下部にある十二支が2001年であった.ただし,側壁の下部は損傷が激しく,十二支のうち確認されているのは東壁の寅・卯,南壁の午,西壁の戌,北壁の亥・子・丑の7体である.キトラ古墳は2000年に国の特別史跡に指定された.

2.キトラ古墳の天文図
 キトラ古墳石室内部の天井に描かれている天文図は,天の北極を中心とする正距方位図法に従ったと思われる方式で描かれている.その図には350個以上の星が配され,それらを朱線で結んで74以上の星座が示されている.天の川は描かれていない.星は明るさ等によらず同じ大きさの金箔で表され,直径は約6mmである.ただし,3つの星だけ直径約9mmある.星座はおおむね古代中国の星座に従っていると見られるが,星座の数は古代中国のものよりずっと少ない.星や星座の他に,内規・天の赤道・外規・黄道が朱線の円で描かれており,直径は順におおよそ16.8cm,40.3cm,60.6cm,40.5cmで,先の3つが同心円,黄道は中心が天井に向かって北西方向にずらして描かれている.内規は1年中地平線下に没しない北天の星(周極星)の範囲を示す線,外規は南天の観測限界の範囲を示す線である.黄道は位置が実際の位置とは大きく異なる.絵師が黄道を描く際に,ずらす方向を間違えたものと推測される.なお,中国や韓国の古代星図には二十八宿の赤経の境界に当たる赤経線が書かれているが,キトラ古墳天文図には赤経の線はない.

3.今回の解析結果
 キトラ古墳天文図には,その元になる原図があったと考えられる.その原図は,いつ,どこで観測されたものを元に描かれたのかを推定する解析を行った.上に述べたように,黄道の位置が間違っているので,春分点等の位置から年代を特定することはできず,星と天の赤道等との位置関係を用いて解析を行うことにした.
 キトラ古墳天文図の星の位置は必ずしも正確とはいえないが,描かれている星々のうち,天の赤道に近くて明るい5星と内規に接するように描かれている6星の計11星は,それぞれ天の赤道と内規に対する位置関係が比較的正しいことが分かった.そこで,歳差と固有運動によるこれら11星の赤緯の変化を計算して,その天文図の元になった観測が行われた年と観測地緯度を推定した.結果は,観測年(西暦):300年±90年,観測地緯度:33°.9±0°.7である.観測地としては,以前の研究で候補とされた朝鮮半島ではなく,中国の長安(今の西安,北緯34°.3)や洛陽(北緯34°.6)が考えられる.緯度からは日本の飛鳥(北緯34°.5)も候補になるが,4世紀当時には飛鳥で天文観測を行っていたとは考えられていない.つまり,4世紀ごろに中国で観測されて描かれた星図が日本に伝わって,それを元にして,西暦700年ごろに造られたキトラ古墳に描かれたと考えられる.


参考資料  (中嶋作成)
NHK コズミックフロント
飛鳥歴史公園の解説ページ
Wikipedia
朝日新聞の図(1)
朝日新聞の図(2)