2021年2月20日 第659回 月例天文講座 

ジョージ・ガモフとビッグバン宇宙論

  一橋大学名誉教授   中嶋浩一
                (右写真は wikipedia(英文) より)

 このところの私のお話は「宇宙全体、および宇宙の始まりをどのようにとらえるか」ということ についての入門的な解説、という形になっています。そしてそれに併せて、それらの理論に関わった 理論天文学者の紹介も行ってきました。天文学者の紹介は、2017年度の家先生のハッブルお話に続き、 2018年度の私のルメートルの紹介、 および2019年度のローレンツの紹介 などがありました。今回はそれに続く、ビッグバン宇宙論の推進者、ジョージ・ガモフの紹介です。 いずれは宇宙論の巨人、アインシュタインについても紹介してみたいと思います。
 今日のお話は、ビッグバン理論の入門的な解説、およびジョージ・ガモフの業績・エピソードの紹介、という2本立てと なっています。

 まず「ビッグバン理論」についての基礎的な説明です。

 1929年にエドウィン・ハッブルが「遠方の銀河はみな我々から遠ざかるような運動をしており、 その遠ざかる速度は距離に比例している」という観測データを発表しました。そしてこの観測事実から 「宇宙は一様に膨張していると考えられる」ということが広く受け入れられるようになりました。
 しかしこの考えは、宇宙の見方にさらに大きなナゾをもたらすことになります。すなわち、時間を逆転 させれば、「昔は宇宙は今より小さかった」、さらに「ある有限の過去には宇宙の大きさがゼロであった」 すなわち「宇宙には始まりがあった」ということになるからです。
 今でこそ「宇宙の始まり」は当然のこととして受け入れられており、またいにしえのどのような神話でも 「天地創造」、「宇宙開闢」は当たり前となっています。しかし近代の科学的考え方、すなわち「何らかの 自然法則に則ってこの万物が存在している」という考え方からすれば、「宇宙の始まり」というのはとても 受け入れられない出来事になります。すなわち、始まりの時点で自然法則は断絶してしまい、また始まり以前 という世界は暗黒の存在となってしまうからです。これはちょうど「宇宙には果てがある」という考えと同じで、 「それではその果ての先はどうなっているか」という新たなナゾが出て来るのと同じことです。
 科学者たちは、何としても、人間が理解可能な自然法則に基づいて宇宙ができている、と考えたいわけですが、 「宇宙の始まり」はこれに「ノー」を突きつけるわけです。

 これに対して多くの科学者がいろいろな解釈を提案しましたが、ここでは20世紀中ごろまで有力だった2つの 解釈(理論)を紹介します。それは「定常宇宙論」と、今回の「ビッグバン宇宙論」です。

 まず「定常宇宙論」ですが、これは「宇宙は確かに膨張しているが、始まりがあったわけではない」という 考え方です。いいかえれば「過去には宇宙が狭くて銀河がぎっしり詰まっていたわけでもなく、また未来は 宇宙が広がって銀河がスカスカになってしまうというわけでもない、膨張しながらもたえず現状と同じような 銀河密度の宇宙が存在する」というのです。これが「定常」というゆえんです。
 どうしたらそんなことが可能かというと、これはフレッド・ホイルという人の考えですが、「膨張する宇宙の 中で、銀河を形成する物質が自然発生する」というのです。膨張してスカスカになった宇宙で物質が徐々に生成 され、それが星となり銀河となってまた宇宙に輝き、常に現在と同じような宇宙の姿が見られる、というわけです。

 これに対して「ビッグバン宇宙論」は、「物質の生成消滅などはなく、現在宇宙に存在する物質のすべては、昔は 今の宇宙よりずっと狭いところにぎっしりと詰まっていた、したがって、極限まで時間をさかのぼれば宇宙は大きさが ゼロで密度が無限大であった、そしてこれが宇宙の始まりである」と考えるわけです。無限大の密度・温度の状態から 急激な膨張によって宇宙が誕生するわけですから、それはあたかも「大爆発(ビッグバン)」状態である、というのが ビッグバンの名前の由来です。
 どうしてそんなことが可能かと問われればこの理論では「未知の何かがあってそうなった」と答える以外になく、 当時の自然法則世界観は放棄せざるを得ません。20世紀前半当時、この理論がなかなか受け入れられなかったのは、 このような理由によるものでした。自然科学的な立場から「宇宙の始まり」を最初に提唱したのは,以前この講座で 紹介したルメートルですが,彼はその当時ようやく形が見えてきた「量子力学」という新しい自然科学でこれが説明 できないか,と考えていたようです.

 この不人気だったビッグバン理論がどうして現代の宇宙論の中心理論となったのかというと,それは1964年の, アルノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによる「宇宙背景放射」の発見でした.そして 「宇宙が超高温のビッグバンとともに始まったのであれば,超高温の名残の残照としてそのような放射がある筈だ」 ということを予言したのが,ガモフを中心とする研究者のグループだったのです.予言の論文が出されたのは, 放射の発見の16年も前のことでした.
 彼らは他にも,「現在の宇宙で水素原子とヘリウム原子の存在比率(質量比)は約3:1であることは,宇宙が ビッグバンで形成されたという考えで説明される」ということを証明しています.
 このようなわけで,ガモフたちが緻密に練り上げた理論がペンジアスとウィルソンによって観測的に 実証されたことにより,ビッグバン理論は不動の地位を確立したのでした.ペンジアスとウィルソンはこの功績 により,1978年にノーベル賞を受賞しました.

 それではこのビッグバン確立の第1の功労者,ガモフたちの功績はどのように評価されたのでしょうか.
 残念なことに,ガモフたちの予言論文から宇宙背景放射の発見まで10年以上もの間があり,ビッグバン理論に とってはこれは大きなブランクになってしまいました.そしてこの間に,ガモフを初めグループの人たちは他の 研究分野へと転向してしまっていたのでした.ガモフなどは遺伝子の研究に進出して,結構良い仕事をしていた ようです.
 宇宙背景放射の発見の際に,これをビッグバンと関係づける論文を書いたのは,ガモフたちではなく ディッケとその門下の人達でした.門下生のピーブルスは,その後も宇宙論で大きな仕事をして2019年のノーベル賞 を受賞したことは記憶に新しいことかと思います.

 ガモフはロシア生まれでアメリカに亡命した物理学者ですが,すぐれた研究をするとともに,いろいろユニークな 言動で話題をまいた人です.彼の著した科学啓蒙書『不思議の国のトムキンス』などをご存知の方も多いでしょう. 本講演では,後半でガモフの人物像をご紹介します.



[参考] (中嶋記)