演題: 星座の起源とものがたり 木村かおる(科学技術館 学芸員) 数え切れない星の中に星座を探すことができたら、どんなに楽しいだろう?たくさんの 星や星座にまつわる話を、きれいな星空の下で語ることができたらどんなにロマンチック だろう...。そんなことを考えたことはありませんか?星空は世界共通ですが、いろい ろな星の見方や、星の物語は様々です。私たちがよくプラネタリウムで聞く星座神話は ギリシア・ローマ神話をもとにした星座の物語ですが、アフリカやアメリカ・インディアン のナバホ族、南米など異なった星の見方や物語が、それぞれの文化に育まれて伝えられている。 それぞれの星座の起源をたどることができたら、どんなに楽しいことだろうと思う。 1937年、大阪に日本で最初のプラネタリウムが公開されてから本日に至るまで、ほとん どのプラネタリウムでは星座の物語を紹介している。日の入りから始まり、今宵の星空や 星座のお話、星や宇宙の話題と日の出を演出するという、ライブのプラネタリウムの投影 手法は、大阪市立電気科学館、東日プラネタリウム、五島プラネタリウムと経て完成され たものである。自動演出のオート番組においても、星座神話が問いいれられていることは、 プラネタリウム=星座の話が楽しめるところという印象が、定着しているのであろう。 私たちがよく知っている星座といえば、「お誕生日の星座」として知られている「黄道 12星座」であろう。私たちが現在、世界共通で使っている星座のうち、この黄道12星座を はじめとする主な星座は、プトレマイオスが編さんした『アルマゲスト』(紀元150年頃) に紹介されたものである。では、星座の起源は?というと古くは古代メソポタミアにまで さかのぼる。私たちが星座の起源を語るとき、野尻抱影氏の星座の本を参照し、「星座が作 られたのは、メソポタミア地方で、羊飼いたちが空を見上げて...」と話していました。 確かに、星座の発祥の地は古代メソポタミア地方ですが、星座を考案したのは、どうも羊飼 いではなさそうです。そもそも、古代メソポタミアは、チグリス川・ユーフラテス川の挟ま れた肥沃な土地であったため、麦などの穀物の栽培や家畜を飼っており、紀元前6000年には、 最古の農耕集落が発生していた。紀元前3500年〜3100年頃のウルク文化期では、その遺跡から 粘土板文書も発見されており、高度な文化を持っていたことが知られています。その後、多く の都市国家が誕生し、各都市神が祭られていることが、それらの粘土板から知ることができる。 また、最も古い星や星座の記録としては、境界石と呼ばれるものや、紀元前500年頃に作成さ れたムル・アピン(大英博物館所蔵)の記録などに見ることができます。そのため、紀元前3000年 頃に、古代メソポタミアにやってきたカルデア人の羊飼いが、星座を作ったという話は、現在の 古代メソポタミアの研究からは問題があることがわかってきました。 今回は星座の起源としての古代メソポタミアでの天文学や占星術の発展をベースに、ギリシア に伝えられるまでの様子を振り返ってみたい。