演題 天文学と日本の古代史: 七世紀 要約 『日本書紀』(神代より七世紀末までの歴史書、全30巻、編纂は西暦720年)には 七世紀に始まる天文記録が31個記録されている。また、音韻学者により、 『日本書紀』は正しい漢文で書かれた巻の集まりα群、日本語くさい漢文で書かれた 巻の集まりβ群、そしてどちらとも言えない最終第30巻(持統紀)に分類される。 谷川・相馬(国立天文台報、2008年)は、 (1) β群には、日本で観測したとしか考えられない記録や、文言からして日本独自 の観測に基づくと考えられる記録があること、さらに晴天率からして日食は 観測可能なものがほぼすべて記録されていること; (2) α群には観測されたと言える記録はひとつもないこと; (3) 最後の持統紀の日食はすべて予想であり、たしかに持統紀はα群ともβ群と 似ていないこと、 を示し、とくに上記(1)から日本天文学が七世紀に始まったことを主張した。 以上のことを講演で説明する。 疑問が湧いてくる。α群では天文観測がないのは何故だろう。天文観測のあるな しがβ群、α群分類と一致したのは何故だろう。持統紀になって観測をやめたの は何故だろう。「七世紀にちゃんとした天文学があるはずはない。 なにしろ律令国家が始まっていないのだから。まして占星台設置(675年)以前には」 と歴史家は一蹴する。 七世紀の日本では、われわれの知らない何かが起こっている。七世紀の日本史は もしかすると基本がしっかりしていない。天文学者の直観がそう告げる。 谷川・渡辺(国立天文台報、2010年)は、七世紀の『日本書紀』内を隈なく歩き回り、 α群・β群に合致する歴史事実を探した。α群・β群の違いをはっきりさせたかった。 時間があれば、その調査結果を述べる。調査は継続中であり、出席者諸氏に独自の 調査が可能であることを訴える。 参考文献(中嶋追加) 谷川・相馬(国立天文台報、2008年) (PDF 3.3Mb) 谷川・渡辺(国立天文台報、2010年) (PDF 0.7Mb)