2019年8月17日 第641回 月例天文講座 

走っているものは時間が遅れ,長さが縮む
  ― ローレンツ博士の業績と人柄

    一橋大学 名誉教授 中嶋浩一


 本年一月にNewton社から『ゼロからわかる相対性理論』という別冊が出版されました.これまでにも『あなたにもわかる相対性理論』,『相対性理論がみるみるわかる本』など,類書が多数出版されています.ことほどさように相対性理論は,「不思議な理論」,「理解できない理論」ということになっているようです.

 そしてその理解できない問題の筆頭に,「動いているものの中では時間が遅れる,長さが縮む」という不思議が取り上げられ,この不思議な現象をどう理解するかということが,多くの解説書のテーマとなっています.あたかもこの不思議な現象が,アインシュタインの相対性理論の不思議さ,難解さの典型であるように扱われています.

 しかしこの不思議な現象は,相対性理論よりも前にオランダのヘンドリック・ローレンツ博士が発見したものなのです.物理学の世界では,「ローレンツ変換」,「ローレンツ短縮」などと呼ばれています.本講座では,まずこれについて紹介した後,これをどのように理解するかを私なりに解説してみたいと思います.それを簡単にまとめると,次のようになります:

 1)アインシュタインの相対性理論は,確かにこのローレンツの理論に基づいて構築されており,同一の数式を使用しているが,その解釈がローレンツのものと大きく異なっていた.
 2)ローレンツは,あくまでも「絶対的な静止者(A)」とそれに対する「運動者(B)」を考えたが,アインシュタインは「BからみればBが静止者でAが運動者であり,絶対的な静止者はいない」と考えた.これが「相対性」と呼ばれる所以である.
 3)アインシュタインはこの立場に立って,「相対論力学」ともいうべき新たな物理学を打ち立て,「エネルギーと物質の同等性」などの画期的な新発見を行った.
 4)上記の「時間の遅れ」などは,ナゾでも不思議でもなんでもなく現実にそうなっていることなのであり,実験的にも確かめられている.いまや「あたりまえ」の常識になりつつある.
 5)本当の不思議・矛盾は別のところにある.すなわち「お互いに,自分が静止して相手が動いている」というのであれば「お互いに相手の時間が遅れている」ということになり,これでは「A>BでありかつB>Aである」と同じで,明らかにあり得ない矛盾である.
 6)このナゾは,アインシュタインの2番目の相対論「一般相対論」で解決されるのであるが,本講座では結果のみ紹介する.

 「不思議」というのは「常識に反する」というところからくるものと思われますが,その常識がだんだん変化することにより,不思議が不思議でなくなってくるものと思われます.「理解」というのは,理詰めや計算づくで納得するものなのではなく,常識として認めるということなのではないでしょうか.

 さて,前回はルメートルという人を紹介しましたが,今回は前述のローレンツを,講座の後半で紹介したいと思います.

 ローレンツという人も,アインシュタインの名前に隠れてしまってあまり知られていないようですが,やはりたいへん優れた天才的物理学者であり,また母国オランダのために大きな貢献をした人格者でもあったということです.たとえばオランダが海をせき止めて干拓を進める時,その大プロジェクトの委員長として活躍し,無事完成させたということもありました.

 このようにローレンツはオランダでは広く尊敬を集めており,博士の葬儀の際には,その死を悼んで,オランダの電信電話会社が3分間,通話をストップした,ということです.



[参考](中嶋記)
*右上カットは,Wikipedia,ローレンツ より.