2022年4月16日 第673回 月例天文講座
ドップラー:その人生と業績
国立天文台名誉教授 家 正則
(右図は wikipedia より)
今日の観測天文学では至る所に出てくる「ドップラー効果」は、ザルツブルグ生まれのクリスティアン・ドップラー(1803⁻1853)が、その原理を1842年に論文で発表したことに端を発していますが、彼の人生については殆ど知られていないと想います。
今回はドップラーの人生とその業績、彼との交流が合った友人恩師や論敵についてご紹介し、ドップラー効果を軸にした数々のノーベル賞業績を辿るお話をさせていただきます。
石材加工業の家に生まれたドップラーは、ウィーン高等工業学校を優秀な成績で卒業しますが、大学進学には高等学校(ギムナジウム)の卒業資格が必要だったため、入学し直します。これには当時の光学界を率いたフラウンホーファーの後継者となった恩師シュタンプファーが、ドップラーの才能を認めて助力しています。大学卒業後も苦労したドップラーはやっと1835年にプラハ高等工業学校で数学教授の職を得て結婚します。その後、1842年に「ドップラー効果」を述べた論文を発表します。この論文は、必ずしも明快な記述でなかったため、当時の有力な天文学者から批判にされました。1845年にはオランダでドップラー効果を実証する実験が企画されたのですが、光学設計で名を残したペッツバルが1852年にウィーンの学界でドップラーの論文を改めて痛烈に批判します。肺の病が悪化していたドップラーは反論論文を書きますが、ウィーン学士院が用意した公開論争の場を欠席して療養のためベニスへ旅発ってしまったため、この論争はドップラーが逃亡したのだとみなされました。ほどなくドップラーは他界しますが、1860年になってマッハがドップラーの論文が正しいことを宣言して、この論争に決着がついたのでした。
これまでにドップラー効果に関連したノーベル賞受賞者は19名に上っています。相対運動の電磁波への影響を看破したドップラー効果については、相対性理論の父アインシュタインも絶賛しています。
参考(中嶋記)
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*天文月報、
参考記事
*
ドップラーの webページ
*右写真は,ウィーン大学中庭にあるドップラーのモニュメント
(中嶋撮影,クリックで拡大)
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| クリスティアン・ドップラー |
| 1803 - 1853 |
| ウィーン大学物理学教授 |
| 1850 - 1853 |
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| 「ドップラー法則」は,その発見 |
| 者の名前を不朽のものとした |
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