2021年9月18日 第666回 月例天文講座 

(天文教育普及賞 受賞記念講演)
国際天文学連合(IAU)と日本の天文学 

    東京大学名誉教授     岡村 定矩 先生


1 駿台天文講座とIAUと日本の天文学
 はじめに駿台学園が日本天文学会の教育普及賞を受賞した記念講演をこのタイトルで話すことにした理由を説明する。駿台天文講座の50年以上にわたる歩みの期間は、ちょうど日本の天文学がIAU(国際天文学連合)の会員数を増やしながら発展していった時期とぴったり重なっている。

 駿台学園創立の1932年にはIAUの日本人会員は19名であった。戦後は敗戦国ということで1948年に会員数は一旦ゼロとなったが、北区の王子において駿台天文講座が始まった1966年には50名であった。IAU会員は各国の対応組織(日本では日本学術会議)の推薦に基づいて3年ごとの総会で承認・登録される。北軽井沢天文台が開設された1984年は245名であったが、その後右肩上がりに増加し、現在は788名となっている(2020年から毎年会員登録が行われるようになった)。1997年にははじめてIAU総会を日本(京都)で開催し、日本の天文学の発展を世界に示した。

 日本の天文学の急速な発展期ではあったが、50年以上の長きにわたり毎年の平均参加者数が最盛期は1000名以上、50年通算でも500名を下らないという天文講座を毎月欠かさず開催された駿台学園の関係者の熱意と努力は日本天文学会の教育普及賞にまことにふさわしく、敬意を表する次第である。歴代校長と篠原信雄さんをはじめとする学校関係者の努力もさることながら、駿台天文講座の「育ての親」とも言うべき初代顧問の磯部琇三氏の貢献は特筆すべきものである。私は磯部さんとは研究面でも関わりが多く長年親しくしていた。開設間もない北軽井沢天文台の75cm経緯台望遠鏡を見学(悪天候で観測はなし)して、一心荘に泊めていただいたこともある。磯部さんは日本の天文学の発展の中で、天文の教育普及の重要さにいち早く注目された。1989年には日本天文教育普及研究会を立ち上げて、自ら会長として会を軌道に乗せた。この会は現在も活発な活動を続けている。磯部さんはIAUにおいても天文教育や天文台のサイト環境保護などの活動に積極的に参加された。50年以上、毎月の講演者を確保するのはさぞかし大変だっ たと思うが、それは磯部さんの広い国内外の人脈があったから可能になったものと推測する。残念ながら磯部さんは2006年に亡くなられたが、顧問は平林久氏に、さらに現在の中嶋浩一氏へとバトンタッチされた。中嶋さんは「駿台ジュニア天文教室」を創設されて地域の若者(主に小学生)に大きな影響を与えるなど、活動の一層の活性化に尽力されている。

 駿台学園のこのような息の長い、地域に根を下ろした天文教育普及活動が、日本の天文学の発展を草の根で支えている。この機会に改めて感謝の意を表する。

2 社会と関わるIAUの活動
 IAUは1919年に創設された天文学研究者の国際組織である。日本は創設に参加した7カ国の1つである。もともとIAUは天文学の研究発展および研究者の交流を主目的としたものだったが、2009年の「世界天文年」をきっかけに、同年開催のリオデジャネイロ総会で「社会発展のための天文学」と題する10年間の戦略計画を策定し、社会と関わるさまざまな活動を行うようになった。2018年にはウィーン総会で新たな10年間(2020-2030)の戦略計画が発表された。IAUは、それぞれの国で天文学者を代表する「組織」が加入する「ナショナルメンバー」と、研究者「個人」が加入する「個人会員」からなる。この種の学術団体で個人会員という制度を持つものは珍しく、そのことが近年のIAUのさまざまな社会活動の源泉と言ってもよいだろう。
 
3 日本天文学の基幹装置
 1997年に京都でIAU総会を開催した頃から、日本の天文学は多くの分野で世界のトップレベルと肩を並べるようになった。現在の日本の基幹となる二つの地上望遠鏡について、あまり知られていないエピソードも交えて紹介する。

3.1 すばる望遠鏡の挑戦
 光学赤外線波長域の望遠鏡としては、日本では1960年に建設された東京天文台岡山観測所の口径1.9メートル望遠鏡が長い間最大口径のものであった。すばる望遠鏡の建設は、日本のコミュニティが十分な経験のないところから一足飛びに世界の最大口径を目指して頑張ったプロジェクトである。特に設置場所が外国(アメリカ合衆国ハワイ島マウナケア山頂)であり、大使館関連施設以外でははじめて国外に設置される施設でもあり、技術的課題だけでなく政治的な課題も多かった。多くの課題は関係者の努力で見事に解決され、2000年に世界最高性能を有する望遠鏡が稼働を始めた。8メートルクラスの望遠鏡で唯一すばる望遠鏡だけが、広い視野を観測できる主焦点を有する。このユニークさによって、口径30メートル級の次世代望遠鏡が稼働する時代になってもすばる望遠鏡の存在意義は薄れることはないと考えられている。

3.2 アルマ望遠鏡
 アルマ望遠鏡は東アジア (日本、韓国、台湾)、 北米 (アメリカ+カナダ)、ヨーロッパ 南天天文台(ESO)のメンバー16ヶ国+チリの三者が国際共同プロジェクトとして建設・運用をしている。建設と運用は合同アルマ観測所という名前の法人組織によって行われている。建設費総額は1000億円を超える巨大プロジェクトで日本はその約1/4を負担するという対等参加をした。建設の中心となったのはアメリカとヨーロッパ(ESO)と日本であったが、予算措置に遅れが出て、日本の正式な計画参加はアメリカでの予算承認より2年、ESOより1年遅れた。しかしここでも関係者の多大な努力により、最終的に日本は遅れを取り戻し、建設に大きな貢献をした。アルマ望遠鏡も多くの分野で画期的な成果を挙げているが、そのなかから、イベントホライズン・テレスコープによるM87銀河のブラックホールシャドウの撮影を紹介する。
 
4 日本が世界に誇るカメラ
 望遠鏡の成果は、それ自体の性能と共に、どれだけ優れた観測装置が利用できるかにかかっていると言っても過言ではない。現在日本が誇る世界最先端の二つのカメラを紹介する。

4.1 ハイパーシュプリームカム(Hyper Suprime-Cam: HSC)
 先に述べたすばる望遠鏡のユニークな主焦点で可能になった広視野を活かす最初のカメラはシュプリーム・カム(Suprime-Cam)と呼ばれるモザイクCCDカメラであった。2000年から稼働を始めたこのカメラは、ハッブル宇宙望遠鏡の広視野カメラの100倍以上の視野(直径約0.5度)を持ち、地上望遠鏡としては最高の角度分解能(像の鮮明さ)を持つ当時まさに世界最強のカメラであった。17年間活躍したシュプリーム・カムの後継機として現在はさらに格段に性能を高めた広視野カメラ(Hyper Suprime-Cam: HSC)(視野直径1.5度)が活躍中である。HSCのデータは世界中に公開されて数多くの成果が挙がっている。

4.2 トモエゴゼン(Tomoe-Gozen)
 トモエゴゼンはごく最近この駿台天文講座で紹介されたのでおなじみの方も多いと思う(第656回 2020年11月21日 諸隈智貴講師)。これは東京大学木曽観測所の口径105センチシュミット望遠鏡(木曽シュミット)専用の広視野カメラである。シュミット望遠鏡は通常の望遠鏡に比べて格段に視野が広いが、このカメラは木曽シュミットの直径9度の視野をキヤノン製の84個の高速CMOSセンサーで覆い尽くし(一度にカバーできるのは20平方度)、露光時間0.5秒という高速撮像を行うことができる。いわば広い視野の「空の動画」を撮影できる世界初のカメラである。これはこのクラスの望遠鏡につけられた世界に例を見ない動画カメラで、2019年の稼働開始以来すでにさまざまな成果が挙がっている。いわゆる「突発現象」の観測で今後も世界をリードすると期待されている。


参考文献

岡村定矩 「IAUと日本の天文学の100年―地上観測分野を中心として―」
 (1) 天文月報 113巻, 3号, 178-182頁(2020年3月)
 (2) 天文月報 113巻, 4号, 231-239頁(2020年4月)
 (3) 天文月報 113巻, 5号, 293-302頁(2020年5月)
瀬尾兼秀・篠原信雄 「宇宙の扉を開けて」, 天文月報 114巻, 3号, 222-233頁(2021年3月)
日本天文学会インターネット「天文学辞典」 https://astro-dic.jp/ 



[参考]  (中嶋記)
*右上のロゴマークの図は、IAUホームページより。
*文中にある「2018年にウィーン総会で策定された新たな10年間(2020-2030)の戦略計画」の日本語訳が、こちらにあります:  『IAU戦略計画 2010-2020』(104ページ、pdfファイル)。
 後半の約30ページに、日本語版への付録として、IAU関係の詳しい解説があります。